織物工房兼住居であった京町家が本来の姿をいかしつつ再生!建築設計事務所と暮らしの場が融合する空間に

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京町家の前での中川さんの写真

時代背景や手がける家業によって、少しずつ間取りや意匠が異なる京町家。織屋建と呼ばれる機織りに最適な京町家を改修し、事務所兼住居としている中川幸嗣建築設計事務所の代表である中川幸嗣こうじさんに、京町家への思いや建築へのこだわりなどをお聞きしました。

※ 織物業が盛んだった西陣に多く見られる京町家の様式。一般的な京町家とは表と奥の使い方が異なり、表に住まい、奥に作業場があるのが特徴

京町家のプロフィール

明治10年の記録が残る織屋建ての京町家。2016年に京都市景観・まちづくりセンターが運営する京町家まちづくりファンドの支援を受けながら改修された。その後も、所有者である中川さんが離れや渡り廊下などを改修しながら、職住一体の建物として使われている。京町家条例に基づく個別指定京町家。

>京町家まちづくりファンド
>京町家条例に基づく指定制度

中川さんのプロフィール

2002年に武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業後、建築設計事務所勤務を経て、2014年一級建築士事務所中川幸嗣建築設計事務所を設立。京都市文化財マネージャー(建造物)としても活躍中

>中川幸嗣建築設計事務所(外部サイトに移動します)

西陣の京町家との出合い

この京町家があるのは、上京区の「西陣」と呼ばれるエリア。西陣織で知られるまちで、かつては多くの糸屋や織屋が建ち並びましたが、時代と共に廃業するケースも増えていて、織物工場兼住居であった京町家は必要とされなくなり、取り壊されてしまうことも。この京町家も元は織屋の京町家で、チラシに「古家付きの土地」の売り物件として掲載されていたのを中川さんが目にしたのが出合いでした。

京都は京町家などの歴史ある建物が多く残っており、近所を散歩すると意匠などのヒントがある。虫籠窓などは、散歩で意匠を採集し、改修に取り入れたのだとか

中川さんは、京都府福知山市の出身で、城下町の町家育ち。御実家は薬屋を営まれていて、幼い頃から職住一体の生活が自然だったそうです。学生の頃に、バックパッカーとして世界中を旅する中で、心惹かれたのは、有名な建築や観光地ではなく、その土地の人々の営みを感じることができる街路空間だったと言います。そこで出会う現地の人々の生き生きとした様子や建物は魅力的。日本にもかつてはこうした魅力的な街路が多く存在していて、それらを失いたくないと考えるようになり、それらを形づくってきた京町家や街並みを守りたいとの思いが芽生えてきました。また、大学で建物を壊して建築するのではなく、壊さないことを前提として建築を考えるよう教えを受けたこともあり、建築家として「建物を壊さず快適な暮らしができるよう手を加える」ことを大切にしているのだそうです。

京町家への思いや建築のこだわりなどを語る中川さん

建物の背景を大切にしながらの改修

大学卒業後は東京で働いていましたが、独立後に選んだ場所が京都でした。京町家をはじめ、社寺や老舗など歴史がある建物が多くて、木造建築における職人の技術や材料の質も高く、建物を壊さず守ることを大切にする中川さんの思いとリンクする場所が京都だったのです。実家が職住一体だったこともあり、最初から事務所兼住居にしようと考えていて、仕事と暮らしを両立するうえで、落ち着いていながらも町との触れ合いがある場所はないかと探していたところ、出合ったのが現在の京町家でした。「この京町家は、明治時代までの古い建物で、北向きの入口で、お庭もあってと、自分が探し求めていたものが多く詰まっていたんです。また、近所に親戚が住んでいて、このエリアに馴染みがあったのも大きかったです」。
さらに、「京町家に対する一定の評価を知る一方で、寒い・暑い・不便などのイメージがあって、身の回りでも壊されることがあり、そうならないために、京町家を改修して住みやすくできることを身をもって紹介したいという思いもありました」と中川さん。
しかし、この京町家は、長い間あまり手入れがされていなかったようで、雨漏りによる傷みがずいぶん進んでおり、大修復が必要だったそうです。

建築事務所兼自宅の空間。奥様がアトリエとして教室を開くこともあるそう

中川さんは、その建物の歴史を読み解き、どういった背景や理由でその土地に建てられたのかをしっかりと知ることで、改修プランにその建物の潜在的な可能性を最大限反映することができるのではないかと言います。例えば、この京町家では、主屋の梁に丸太のままの木材が使用されていることや登記簿の調査から、明治初期あるいは幕末に庶民への借家のために建てられた建物で、元は吹抜けの広い土間空間であった場所に、床・壁・天井が設けられ座敷化されていることなどが分かりました。中川さんは、この京町家をより魅力的な空間にするために、織屋建の特徴である吹き抜けに戻されたそうです。また、建物のためには傷んだ構造の健全化は必要不可欠であるのと共に、住人が快適に生活していくために断熱改修するなどの工夫も大切にしているということです。

オクノマとトオリニワを区画する壁の上に架けられた2本の登梁は、かつてここに間仕切壁はなく、織屋建特有の広い土間空間があったことを物語っている

暮らしの工夫を実際に体感できる職住一体型

市内の高密度に建物が建っている環境で自然のリズムや四季折々の植物の変化が感じられるお庭は都市に暮らすうえで非常に重要な要素。日当たりや風通しが良くなることはもちろん、縁側でお茶を飲んだり、草むしりをしたりなど、日常の中で自然と触れ合う時間を設けることは、心身共に癒しの時間に繋がるため、お客さんにもお庭を取り入れることをお勧めしているそうです。

井戸は現在も湧いており、お庭の水やりなどに使用するのだとか

「必要性がなくなったからといって、暮らしに合わせて建物を変えるのではなく、建物に歩み寄った暮らしをすることも大切だと思うんです」と中川さん。
例えば、夏は暑く、冬は寒いというイメージのある京町家ですが、ガラス戸の内側に内障子を設けるなど、開口部を工夫することで快適に過ごせるようになります。そうした暮らしの工夫を建築の依頼者に実際に見てもらえるのも、職住一体型の京町家ならでは。「自分が職住一体の環境で育ってきたことや、子ども達と一緒の時間を過ごしたいとの思いもあって、事務所兼住居という空間を作りました。この京町家も元々は住職一体型の京町家ですから、こうした暮らし方も本来の姿に歩み寄るようで良いのではと思っています」。

入口を入ってすぐの事務所スペース。本棚には建築関係の本がぎっしり

京町家に住むことは将来へDNAを残すこと

京町家には、新しい建物と違って誰かが建てたものでも受け継がせる魅力が詰まっていると中川さんは言います。「京町家には長い歴史があって、時間をかけて少しずつ変化しながら形づくられて来ました。その間、改善あり、改悪あり。古いものの方が出来が良い場合も多々あり、時間の厚みを感じることができます。そういう面白さが新築の家とは異なる魅力です」。
また、京町家を直して使い続けることは、次の世代に京町家のDNAを残すことにも繋がり、少しでも、町並みに種を残すことで、100年後でも京町家の姿を取り戻すことができるのだと教えてくれました。

令和5年3月に改修が終わったばかりの離れ座敷。床の間には季節のお飾りが設われ、お茶室として使うこともできる

この京町家では、お庭の三和土たたきは庭の土をふるって叩き直していたり、渡り廊下の壁は元々の壁を崩して土を練り直して作っていたり、庭の石はもともとあったものを再配置していたり、離れ座敷の床の間の主要な材は、主屋にあった明治時代の床の間の材料を転用していたり。魅力と可能性があれば、できる限り材料は再利用したのだそう。こうした近年求められている産業廃棄物排出量の極めて少ないサステナブルな取組を可能とする純粋な材料と技術には驚かされます。元の材料を大切に用いて、京町家本来の姿に歩み寄りながら活用することは、未来に京町家を正しく残すことにも繋がるのです。

補修のために解体した土を再利用した渡り廊下の壁